富士山と聞いて、まずどんな姿を思い浮かべますか?真っ白な雪を冠した穏やかな姿でしょうか、それとも夕日に染まる情熱的な赤色でしょうか。日本人にとって、富士山は単なる山を超えた、心の拠り所のような存在ですよね。
江戸時代、その富士山を「これでもか!」というほど多彩な角度から描き、世界中のアーティストを驚かせた人物がいます。それが、日本を代表する天才絵師・葛飾北斎です。今回は、彼の代表作である「富嶽三十六景」を中心に、富士山を巡る時空を超えたアートの旅に出かけてみましょう。北斎が80歳を超えてもなお追い求め続けた、究極の富士山の姿とは一体どのようなものだったのでしょうか。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 刀鍛冶 |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1802年 |
| 技法・素材 | 肉筆画(絹本着色など) |
| 所蔵 | メトロポリタン美術館 |
「富嶽三十六景」を世に出す30年ほど前、若き日の北斎が描いた非常に珍しい作品です。葛飾北斎は、江戸時代に浮世絵という様式を確立した中心人物の一人として知られています[1]。彼は1760年頃に江戸の葛飾地区で生まれ、なんと88歳で亡くなるまで描き続けた「画狂」でした[2][3][4]。
この作品では、真剣な面持ちで刀を打つ男の熱気が伝わってくるようです。

北斎は生涯で3万点を超える作品を残したと言われていますが、こうした働く人々のエネルギーを捉える力は、すでにこの頃から並外れていました[5]。

画面の傍らには、優しげな表情を浮かべる美人の姿も描かれています。無骨な仕事場の中に、ふっと柔らかな風が吹くような対比が面白いですよね。

火花が飛び散るような刀鍛冶の音、あなたにも聞こえてきませんか?

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 釈迦御一代記図会巻四 |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1845年 |
| 技法・素材 | 木版挿絵本 |
| 所蔵 | メトロポリタン美術館 |
こちらは、お釈迦様の生涯を描いた伝記の挿絵です[6]。1845年に制作されたこの作品は、北斎が85歳くらいの晩年に手がけたものです[7][8]。山田磯斉が文章を編纂し、北斎が視覚的なイメージを作り上げました[9]。
画面全体を埋め尽くすようなダイナミックな構図は、お年を召してもなお衰えない北斎の想像力の凄まじさを物語っています。

建物の描き込みの細かさにも驚かされます。

そして、画面下部に描かれた群衆一人ひとりの動き。誰一人として同じポーズをとっておらず、まるで映画のワンシーンを見ているかのようです。

晩年の北斎が、この壮大な物語を通じて何を伝えたかったのか、じっくり考えてみたくなりますね[10]。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 吉原 左富士(東海道五十三次より) |
| 作者 | 歌川広重 |
| 制作年 | 1847-52年頃 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | シカゴ美術館 |
北斎の良きライバルでもあった歌川広重の作品です。「左富士」というのは、東海道を下る(京都方面へ向かう)際、いつも右側に見えるはずの富士山が、道が曲がっているために一瞬だけ「左側」に見えるという有名な名所のことを指します。
画面中央に大きく描かれた松の木が、富士山を額縁のように彩っています。

旅人たちののどかな様子が、広重らしい叙情的な雰囲気で描かれていますね。

遠くにぼんやりと見える富士山は、北斎の力強い富士とはまた違った、優しく旅人を見守るような佇まいです。

江戸時代の旅人も、あなたと同じように「あ、あそこに富士山が見える!」と喜んでいたのかもしれません。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 神奈川沖浪裏(冨嶽三十六景より) |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1830-33年頃 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | シカゴ美術館 |
世界で最も有名な浮世絵と言えば、間違いなくこの一枚でしょう。「グレート・ウェーブ」として、ゴッホをはじめとする西洋の画家たちにも多大な影響を与えました[11]。この巨大な波は、自然の圧倒的な力と、それに対する人間の無力さを象徴しているとも言われています[12]。
最大の見どころは、波の先端の表現です。まるで生き物の爪のように細かく、鋭く砕け散っています。

そして、波の深みには当時最新の顔料だった「プルシアンブルー(ベロ藍)」が使われ、鮮やかな色彩が画面を引き締めています。

狂乱する波の向こう側で、富士山だけがまるで時間が止まったかのように、静かに鎮座しています。

北斎が70代で到達した、究極の「動」と「静」のコントラスト。あなたにはこの波の音が聞こえますか?[13][14][15]

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 凱風快晴(冨嶽三十六景より) |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1830-33年頃 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | シカゴ美術館 |
「赤富士」の愛称で親しまれているこの作品は、初秋の早朝、朝日に照らされて山肌が赤く染まる一瞬を切り取ったものです[16][17]。タイトルの「凱風(がいふう)」とは、南から吹く穏やかな風のこと[18]。
画面の大部分を占める潔い赤色。装飾を削ぎ落とし、富士山のフォルムの美しさだけで勝負している潔さを感じます[19]。

空に浮かぶいわし雲も、リズム感があって心地よいですよね。

山頂に残る雪が、赤い山肌との鮮やかな対比を見せています。縦約25cm、横15cmほどの小さな版画の中に、無限の広がりを感じさせる北斎のマジックが隠されています[20]。

早起きの神様が見せてくれる特別な景色を、北斎は独り占めしたかったのかもしれません。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 岡崎(東海道五十三次より) |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1806年頃 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | シカゴ美術館 |
広重が「東海道五十三次」で有名になるずっと前、北斎もこのシリーズを手がけていました[21][22]。当時、東海道は江戸と京都を結ぶ重要な大動脈でした[23][24]。
この「岡崎」の見どころは、何と言っても画面を横切る巨大な「矢作橋(やはぎばし)」です。

橋を支える無数の柱が、幾何学的な面白さを生み出しています。北斎は、こうした構造物の面白さを捉える天才でもありました[25]。

遠くには岡崎城の天守も見えます。赤い霞(かすみ)がたなびくことで、画面に奥行きと幻想的な雰囲気が加わっていますね。

橋の上を行き交う人々はどんな会話をしているのでしょう。そんな想像をかき立てる一枚です。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 甲州鰍沢(冨嶽三十六景より) |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1830-33年頃 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | シカゴ美術館 |
激しく波立つ富士川に突き出した岩場。そこで網を打つ漁師の姿を描いたこの作品は、北斎の構図の妙が光る傑作です[26][27]。画面全体が、当時流行していた美しい「プルシアンブルー」で統一されています[28]。
岩場の形に注目してください。実は、遠くに見える富士山の形と響き合うように描かれているんです。

ピンと張り詰めた網の糸が、漁師の力強さと緊張感を伝えています。

波の渦巻く様子は、後の「神奈川沖浪裏」へとつながるような躍動感にあふれていますね。

自然の荒々しさと、その中で力強く生きる人間の姿[29][30]。北斎の鋭い観察眼が光る一枚です。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 駿州江尻(冨嶽三十六景より) |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1830-33年頃 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | メトロポリタン美術館 |
「風」という目に見えないものを、これほどまでに見事に描いた作品があるでしょうか。強い突風に吹かれ、旅人たちが必死に持ち物を押さえている様子が滑稽かつリアルに描かれています[31][32][33]。
空に舞い上がるたくさんの白い紙。これは「懐紙(かいし)」で、風の強さを一目で分からせてくれます。

風にしなる木々の描写も、北斎ならではの表現です。

これほど騒がしい地上とは対照的に、富士山はただの輪郭線だけで描かれ、微動だにせず佇んでいます。

この作品のサイズは、大判と呼ばれる高さ約24cm、幅36cm程度[34]。その小さな空間に、突風の轟音まで閉じ込めてしまった北斎に驚かされますね[35]。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | 山下白雨(冨嶽三十六景より) |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1830-33年頃 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | シカゴ美術館 |
「黒富士」の名で愛されるこの作品は、先ほどの「赤富士(凱風快晴)」と対をなす傑作です。山頂は晴れ渡っているのに、山の下(山下)では激しい夕立(白雨)が降り、稲妻が走るという、富士山の巨大さを象徴する場面を描いています[36][37][38]。
画面右下、真っ暗な雲の中に走る鋭い稲妻。この一筋の光が、画面に圧倒的な緊張感を与えています。

一方で、山頂付近の空は清々しいほどに澄み渡っています。

嵐の黒い影と、太陽の光を受ける赤褐色の山肌の境界。この「明と暗」のドラマこそ、北斎が描きたかった世界の真理なのかもしれません[39]。

北斎が70代、まさにキャリアの絶頂期に放った、渾身の一撃を感じる一枚です[40]。

| 項目 | 情報 |
|---|---|
| 作品名 | さらやしき(百物語より) |
| 作者 | 葛飾北斎 |
| 制作年 | 1831-32年 |
| 技法・素材 | 木版多色刷り |
| 所蔵 | シカゴ美術館 |
最後に少し変わった作品をご紹介します。有名な怪談「皿屋敷」をテーマにした一枚です。お菊という幽霊が、割ってしまった皿を数えながら井戸から現れるシーンですね[41][42][43]。
北斎の恐るべき想像力は、お菊の首を「皿」そのもので描くという奇抜なアイデアを生み出しました。

虚ろな瞳で何かを訴えかけるような表情。不気味なはずなのに、どこか悲しげで、目が離せなくなる魅力があります[44]。

口からは煙のような息が吐き出されています。

風景画で世界を驚かせた北斎ですが、こうした目に見えない恐怖や物語を描かせても超一流でした[45]。江戸の人々も、この絵を見て背筋を凍らせていたのでしょうか。
葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景」の世界、いかがでしたか?
波に隠れ、風に耐え、時には真っ赤に染まり、あるいは雷鳴の下に佇む富士山。北斎は、富士山という一つの存在を通して、この世界の多様さと、自然に対する深い敬意を描き出そうとしたのかもしれません。80歳を過ぎてもなお「猫一匹まともに描けない」と嘆き、さらなる高みを目指した北斎の情熱が、一枚一枚の版画から溢れ出しているようです。
次に富士山を目にするとき、あなたの心にはどんな北斎の景色が浮かぶでしょうか。
今回ご紹介した作品は、artibleの音声ガイドでもお楽しみいただけます。
静かな解説とともに、絵の前に立っているような体験を。
[1] Katsushika Hokusai - Wikipedia
[2] Katsushika Hokusai - Wikipedia
[3] Katsushika Hokusai - Wikipedia
[4] Katsushika Hokusai - Wikipedia
[5] Katsushika Hokusai - Wikipedia
[6] The Life of Shakyamuni Illustrated - Met Museum
[7] The Life of Shakyamuni Illustrated - Met Museum
[8] The Life of Shakyamuni Illustrated - Met Museum
[9] The Life of Shakyamuni Illustrated - Met Museum
[10] The Life of Shakyamuni Illustrated - Met Museum Collection
[11] The Great Wave off Kanagawa - Wikipedia
[12] The Great Wave off Kanagawa - Wikipedia
[13] The Great Wave off Kanagawa - Wikipedia
[14] Hokusai - Wikipedia
[15] The Great Wave off Kanagawa - Wikipedia
[16] Fine Wind, Clear Morning - Wikipedia
[17] Fine Wind, Clear Morning - Wikipedia
[18] Fine Wind, Clear Morning - Wikipedia
[19] Fine Wind, Clear Morning - Wikipedia
[20] Fine Wind, Clear Morning - Wikipedia
[21] Okazaki - Art Institute of Chicago
[22] Okazaki - Art Institute of Chicago
[23] Okazaki - Art Institute of Chicago
[24] Okazaki - Art Institute of Chicago
[25] Okazaki - Art Institute of Chicago
[26] Kajikazawa in Kai Province - Wikipedia
[27] Kajikazawa in Kai Province - Art Institute of Chicago
[28] Thirty-six Views of Mount Fuji - Wikipedia
[29] Kajikazawa in Kai Province - Wikipedia
[30] Kajikazawa in Kai Province - Art Institute of Chicago
[31] Ejiri in Suruga Province - Met Museum
[32] Ejiri in Suruga Province - Met Museum
[33] Ejiri in Suruga Province - Met Museum
[34] Ejiri in Suruga Province - Met Museum
[35] Ejiri in Suruga Province - Met Museum
[36] Thirty-six Views of Mount Fuji - Wikipedia
[37] Shower Below the Summit - Art Institute of Chicago
[38] Thirty-six Views of Mount Fuji - Wikipedia
[39] Shower Below the Summit - Art Institute of Chicago
[40] Thirty-six Views of Mount Fuji - Wikipedia
[41] The Mansion of the Plates - MFA Boston
[42] The Mansion of the Plates - Art Institute of Chicago
[43] The Mansion of the Plates - MFA Boston